本日の映画の授業は「モダン・タイムス」(チャップリン)です。
実は私もチャップリンの映画を観たことがなく中学生や高校生と一緒に初めて見ることになりました笑。あ~古臭い白黒の無音声映画をみるのか~と心の中で2㎜ぐらい思っていたのですが、チャップリンスゲーと今更ながら思わされてしまいました。(申し訳ありません。
しょうもない話からすれば、中学生や高校生達に、1900年代初頭の雰囲気を掴んでもらうにはちょうど良い映画かもしれないと浅はかなことを考えながら見ておりました。それぐらいリアルだったんですよね。声がなくとも十分伝わてしまう凄さを感じました。中学1年生~2年生もいたので「世界恐慌、資本主義、産業革命、工業化」といったワードの補助線は入れてみました。
あまりにも気になってチャップリンの生い立ちやらなんやら今調べております。なるほど。安易な言い方で恐縮ですが、チャップリンの半生みたいなものが凝縮されている気がいたしました。
個人的に好きなシーンは、最後の方の”What’s the use of trying?”というセリフ?字幕?でした。直訳すると「努力することの意味/有用性って何?」という意味になるのでしょうか??映画の雰囲気からすれば「努力したって無駄よ」と訳したいシーンなのでしょうか?
資本主義だとか工業化に対する批判(映画では決して資本主義批判をしているわけではありません。)として、「すべてを数値化していくこと」があると個人的には思っています。
・競争
・お金持ち
・SNSの「いいね」
・友達の数
・合理的
などなど
数値的に大きな数字になることが資本主義における「夢」「目標」「幸せ」の指標になります。つまり、数値的に大きなことが素晴らしいとされ他者から称賛されることで価値判断を行っていくということです。
チャップリンは、本当にそれで良いのかい?夢や幸せに大小なんてあるのかい?と私に語り掛けてくれているような気がいたしました
一方で、
授業後に高校生達が「私たちは資本主義の波にのまれていることを理解した」「どうしてよいか分からなくなって考えがぐちゃぐちゃになった」と言ってきました。
そうだね~
数値化することあるいは、資本主義の中で生きていること自体は悪いことでもない。(資本主義を批判してあらたな価値を創出できるほど勉強していただいても構いません笑)
数学でちょうど統計学を学んでいるが、社会を良くしようと思ったときに数値化は絶対的に必要です。
確かに、資本主義的な世界で疲弊していく人はいるだろうし、他人の大きな夢と自分の小さな夢を見くらべて自己嫌悪に陥ることもあるだろう。
しかし、だからといって資本主義の中で生きていくこと自体を否定しなくて良い。資本主義のなかでうまく生きて行けばよい。
例えばそれが主人公が選んだ道なのだろう。
夢に大小はなくて、
数値化できるもので比べて落ち込む必要はない。
夢や幸せは人それぞれでよい。
人それぞれで良いのではあるが、「人それぞれ」という言葉に逃げず、「自分」みたいなものを見つけようとして欲しい。(「考え方は人それぞれです」みたいな感想を書いた子がいたのでお説教部屋いきです笑)
大きな雰囲気のなかでフワっと生きて良いのだが、身を任せて行雲流水が如く流れ過ぎると、人間らしくもない笑
ま~人それぞれであるということは、自分で決めねばならないつらさはあるわけよね。だから、いま不安を感じたり、よく分からなくなったりしているのはかなり正常なことなんよね。大学受験という人生の大きな決断をする直前に悩めてよかったやん。
(高校3年生になってから「も」考えてもいいけど、劇的に悩むのはやめてね笑)
そこからは逃げたらアカンよん♪
非合理であること!
非合理であるもの!
っていうのを良くも悪くもなんとな~~~く分かっていければいいんでないかい?とおもう私でした。