進学個別指導塾Willbe【兵庫県赤穂市】非公式ブログ

兵庫県赤穂市の進学個別指導塾Willbe塾長光庵(こうあん)のブログです。ゆるふわっとした内容をダラダラと書いていきます。年長さんから高校3年生までが在籍しています。

The School of Rock




本日、映画の授業でした。


忙しい中学生と高校生。


忙しいけれど多くのWillbe生に参加して欲しいなと思っています。







今回はスクール/オブ/ロックでした。

 

ストーリーは単純だけれど感じてみて欲しいなと思うことがたくさんある良い映画です。感想を読む限り言葉は足りないけど感じるものがたくさんあったようで満足です。





デゥーイのロックが最初は”異端”のように扱われていたが、”正しいもの”であるかのように描かれるようになり、途中からロックの在り方?が変化していくのが面白かった。

 



☝この感想。
音楽をあまり聞かない私には正直意味が分かりませんでしたが、ロックの歴史のようなものを振り返っていくと、


古くはブルース。
1980年代の尾崎豊的なロック。
2010年代の???なんだっけ?


などロックが伝えようとしている内容が変わるように、映画の中でもデゥーイ達が奏でるロックも「反抗」から「自信/励まし/共に頑張ろう」といった雰囲気に変わっていたという内容でした。


なるほど、気が付かなかったな~~~


言葉が足りないけれど、確実に感じていたんだなと分かる良い感想でした。





















ロックは、自己主張をするためのものであり、それを表すかのようにロックをやめた主人公の友人はものすごくナヨナヨしていた。


主人公は、確かに生徒達を利用していたし生徒たちを騙して賞金を手にしようとしていたが、ロックに対する情熱は本物だったからこそ生徒たちに熱が伝わりクラスに活気が生まれていたように思う。


生徒達の保護者が、自分の意見や主張が淘汰され周囲の目線や社会的な地位ばかりを気にして生きており、ロックを軽蔑していたのもの理解できる。私も同じ立場ならばロックを軽蔑していると思う。


そんな保護者/大人たちは、子ども達の演奏を聞いて”自分”を大切にして欲しい自己を大切にして欲しいと思って、「放課後のロック」を許したのかもしれないと想像しました。

 


大人としてドキッとしますね。
そのうえで、

「自信を持って生きる」とはどういうことであるのか?


といった内容に授業は進んでみたりしたのです。




映画が描いてくれていました笑。



奇麗ごとのように聞こえるけれど結局は「他人のために行動する」「自分の弱さみたいなものは、実は、他人にベクトルが向くと強く自信めいたものになる」といったことを映画が描いてくれていました。



映画を観ながら「小学校時代の自分」を思い出した私です。


私自身は自分に自信を持つようになったのは中学校2年生ぐらいだったかな~~~。


その話は後日笑。


機会があれば笑。











デゥーイが「夢は捨てろ、諦めろ、最後は負ける」と言っていたシーンで思ったことは、確かにすべてがうまくいくわけではないしうまくいかない方が多いと思うけれど、、、、

デゥーイがここまで言い切るのは過去に大きな失敗を犯したからなのかなと思いました。



うーむ。
鋭い。


映画では直接は描かれていませんでしたが、映画の冒頭で”独りよがりなロック””他人には見向きもしないまま演奏していた”シーンを見ていくと、大きな失敗というよりは小さく小さく自分を孤独に追い込んでいったのかなと想像は出来たりします。


鋭い。







デゥーイの友人とその彼女は最後は別れたんでしょうか?

別れましたよね。

どう考えても。



そうですね~~~
あの描き方だと別れたでしょうね~~~


デゥーイの友人がバンド活動に見切りをつけて「まともな仕事」をしていたが続かなかったことを考えていっても、、、、友人がみつけた「自信」は、その彼女にはわからなかったんだろうな~~~と想像するしかないよね😢










生徒達の親も昔は、”堅物”ではなく”楽しい人”だったんだろうなと思いました。



そうかもしれない。
そうかもしれない。

うん。
だってね。
あの笑顔をみたらそうだよね。







 


ステージに立たなかった生徒達も1人1人裏で活躍していたところも良かった。


確かに。
何気に監視カメラのシーン、照明のプログラミングなどなど輝いていたね。


スポットライトがあたる人たちの裏側に何千何万もの人の力が結集してる。大事なことですよね。割と忘れがち。うんうん。













というわけで、夜中にあらためてWillbe生たちの感想を1人で読みながらニヤニヤしている私でありました。