「心技体」
ありふれている言葉なんだけれど、昔の抽象的な言葉は偉大だなと思います。小学生の勉強は「不器用か器用か」「言語能力が発達しているか」「指先の巧緻性?」「目の力」といった発達/成長に左右されることは間違いない。
3月生まれがどうだとか、4月生まれがどうだとかいった話は基本的には「個人差を前提」とした「平均的な」成長の差としか言いようがない。
心はいざしらずなのですが、体というものが整っていないと技というものは身につきにくい。
漢字が「簡単な言葉」順というよりは「単純な書き方」順で習っていくといった方が正しいと思うのです。
昨日、「襲う」という感じをなかなかうまくかけない小学生をみていてそんなことを思い出しました。
「成長するまでまってあげる」というスタンスが丁度よいのかもしれないし、「待ってあげる」だけでは追い付かないこともある。
体の細部の成長が追い付かないまま中学生になるならばそれは中学の勉強がかなりの気合と根性ということになってしまう。気合と根性は嫌いではない。でも「体」が追い付かないまま気合と根性を押し付けるのはあまり好きにはなれない。勝手に気合と根性性を発揮していく分にはなんとも言いようのないポジティブな気分にはなる。
塾であるから「主体的に」気合と根性性を発揮できるような働きかけはこれからも頑張る。
一方で、小学生に関してやはり思う。
本来は「家庭の責任」「親の責任」「家庭の文化」といった言葉に集約され親の相当な努力が求められていたりすることなのではあるが、
成長の遅れ、不器用さの発揮を個性というまえに「訓練」してあげることはとても大事なことなのだと思う。
こういう言い方をすると、「かなり不器用なお子様の話なんですよね?」と思われるかもしれないがそうではない。
赤穂市の偏差値50(平均)は、全国偏差値40といった印象です。模試の結果や定期テストの順位や受験事情を鑑みるとどうしてもそうなるだろうと思います。
私からすれば赤穂市の大半のお子様は勉強に不向きな「体」であることが多いのです。そういったところが「図形」問題に顕著に表れてくるのだと思います。
体の話はかなり複雑なので「いち要素」のみをもって「すべて」を話したくもないので、ふわっとしたは話になってしまう。
すくなくとも親御さんからみて「勉強に関して」「おや?」と思うことがあれば、やはり、部分的に何かが遅れていると思うのです。
そして、それを自然的な成長を待ってあげたとして、追い付くのだろうか。
おいつかないことの方が多いと思うのです。
Willbe小学生。
特に低学年は復習メインなのですが、理由は「体」が伴っていないのに「気合と根性でドリル」をこなしても意味がないと思っているからです。
だから、
パズル、点描写、間違い探し、積み木などなど様々な道具を使って具体的に「目」「指先の器用さ」「空間認知」「言葉の正確性」を鍛えながら問題集に取り組める素養を鍛えています。
最近、ビジョントレーニングという言葉が「スポーツ」「教育」界隈で定着したような気も致します。
確かに、ビジョントレーニングは大事だと思うのです。
YouTubeを見る「子ども達の目の動き」を見ていて寒気がするからです。
しかし、ビジョントレーニングをしたからといって一要素の改善にすぎません。
重要なことは、様々な具体的なモノを使って考えるということです。
Fランだとか、
奨学金をもらってまでFランに行く価値がないだとか、
F欄と奨学金返済滞納率に相関があるだとか、
東洋経済にそういった記事が載っていましたね。
私も大学へ行くぐらいならば高卒で働いた方が良いと思う瞬間は多々あります。
大学へいく雰囲気が高まるからこそ、、、、
大学ぐらいはいかないとね!的な空気が広がるからこそ
小さなころの教育が大事なんだと思うのです。
我が子の自由に!!
我が子が望むなら!!
確かにそれはそうなのですが、
間違いないのですが、
「心技体」
体の成長が我々の頃とは大幅に違うのです。
勉強に必要な「技」を身に着ける前の「体」はかなり重要です。
「心」だけではつらすぎます。