進学個別指導塾Willbe【兵庫県赤穂市】非公式ブログ

兵庫県赤穂市の進学個別指導塾Willbe塾長光庵(こうあん)のブログです。ゆるふわっとした内容をダラダラと書いていきます。年長さんから高校3年生までが在籍しています。

【ダニエル・ブレイクは、なぜ「救われなかった」のか】基本的人権の尊重とは?



本日の映画は


「私はダニエルブレイク」


です。





保護者様に紹介をしていただき、


授業で取り扱ってみることにしました。


中学生に対して、


ここまでは言わないのだが、


高校生向けに、


映画の授業は、国語の授業であるので、


あえて、


いやみったらしくも


大学入試現代文っぽく語りかけてみる。



longride.jp




この映画を観た多くの人は、

「制度が冷たい」
「弱者を切り捨てる社会はおかしい」

と感じるでしょう。





その感情は正しい。


しかし、それだけでは足りない。




なぜなら、


この悲劇は、


誰かが悪意をもって作ったものではない
からです。


古典的なヒーローマンガのように「敵」「味方」を区別することは、


早々に卒業して欲しいと思うのだ。


SNSの犯人探しに意味がないと思う点は、この1点である。





むしろ、


近代社会が「善意と合理性」を積み重ねた結果として、


ダニエルの悲劇は、ほとんど必然的に生じています。






近代国家は、


「すべての人を平等な人格として扱う」ために制度を作る



・同じ基準
・同じ手続き
・同じルール



これは一見、人格尊重の実現に見えます。



ところが実際には、


人格は「書類」「点数」「チェック項目」に変換される。



結果、


人間は尊重されるために、非人間化される




ダニエルが傷ついたのは、


人格を否定されたからではない。


人格として扱われすぎた
から、



制度化された瞬間に、


制度が自己矛盾を起こした。


とも言えるのです。







中学生諸君。


内申点に疑問を感じたことはないだろうか。


高校入試内申点は、ダニエルほどとも言い切れないが、


キミ達は、


合理的な内申点に対して、


ダニエルに近い感情を巻き起こすのではないだろうか??


内申点は、「私」ではないと。










 


「私はダニエルブレイク」は、「基本的人権の尊重」について描いたものではないか?



と中学生の感想にあった。





人は、


生きているだけで尊厳をもつ――


それは理念としては正しい。

 






しかし、


生身の人間は、「生きているだけで尊厳をもつ」とは言いにくい。



人は、

他者から承認されて初めて「自分でいられる」


この視点は、とても大切なことです。


あらゆる哲学者が指摘し、あらゆる児童文学が指摘している点です。





ダニエルは、


・働いていたとき
・誰かの役に立っていたとき
・感謝されていたとき


社会の中に居場所があった。





ところが病気になった瞬間、


彼は「支援対象」という匿名のカテゴリーに落とされる。



制度は彼を正確に処理するが、誰も彼を見ていない



承認論から見れば、


彼が失ったのは金でも制度でもない。



「あなたはここにいる」という視線です。



ケイティとの関係だけが、


かろうじて彼を人間に戻していた。








マックス・ヴェーバー は、


近代社会をこう表現しました。


合理化は、人間を「鉄の檻」に閉じ込める。



 

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福祉制度は、


きわめて合理的です。



・効率
・不正防止
・説明責任
・数値管理



どれも「正しい」のです。




しかし合理性は、意味や物語を切り捨てる



・なぜこの人はここにいるのか
・どんな人生を歩んできたのか
・何に誇りを持っていたのか



それらは「非効率」なのです。


いえ、、、


もっと考えてみて欲しい。


社会や制度を悪者にしてくれるのは、良い。


だが、


キミに、全ての人の物語を受け入れる覚悟はあるのだろうか。





全ての人がダニエルのような人であるべきだが、


ダニエルのような人が少ないと感じた。


世の中の人の心が冷たいと感じた。




心優しい中学生である。


しかし、人が冷たいのではなく、制度が冷たいのです。


合理性の冷たさを感じ取ってくれて嬉しい。




ダニエルが対峙していたのは、


冷酷な人間ではなく、


意味を持たない合理性そのものなのだ。


彼は誰かに殺されたのではない。


合理性に殺された



のである。







ここで重要なのは、


この映画が「制度を壊せ」と言っていないことです。



制度は必要。
合理性も必要。
公平性も必要。



問題は制度ではない。


制度しか承認装置を持たない社会
である。



人が人として見られる場所が、


役所しか残っていない社会。



それこそが、


ダニエルを殺した。








とも言えます。





 

 

 


AIに期待する私。


私はAIに期待してしまう。


AIを使用した生産性の向上が、


利益を生み出す源泉ではなく、


AIを利用した効率化で、


人が、


人の物語を背負える余白を


つくる日を


期待してしまう。







たとえば、


医者が外来を30分でまわしきることで利益を生み出す世界が、


AIによって


外来診察が20分で終わり、


10分を物語の共有する時間の一部として。


機能してみて欲しい。









だが、


そうならないディストピアが見えてしまう。


塾を大きくしようなどと思えない。


私も塾の制度で人を殺している自覚はある。







別に資本主義と合理化を批判しているつもりはない。


絶望して欲しいわけでもない。


資本主義と合理主義について学び、


うまく生きて欲しいのだ。


合理的側面を受け入れ、


非合理な時間を大切にし、


うまくバランスをとる。






 

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わたしはダニエルブレイクだ。


1人の男の人生に凝縮した近代批判の寓話です。



そして私たちは、


すでにその社会の中にいる。



だからこの映画は、


「かわいそう」で終わらせてはつまらないのだ。






私の教室で、


アナタの家庭で、


ダニエルを生まない設計があるか



それを問う作品なのだと思います。



まったく罪な作品を紹介してくれたものです爆。