高校現代文?が、
「論理国語」
「文学国語」
に分けられて数年が経ちました。
(文学国語が地学的な扱いを・・・)
確かに、制度としては分かりやすいです。
・論理的に読む力
・文学的に味わう力
それぞれを分けて育てよう、という発想です。
ある社の国語担当者は「現場の先生は、従来通り小説を教える機会を確保したがっている。
そうしたニーズと、指導要領に誠実な教科書を作りたい思いとの板挟みだ」と漏らす。別の社の担当者によると、文学国語の授業を行わない学校も少なくないため、「舞姫」などの定番小説を読まないまま卒業する生徒も増えたという。
この担当者は「教育現場も戸惑っている。
論理を学ぶ教科書から文学を排除する発想は、むしろ学びの幅を狭めてしまったのではないか」と語った。
今回?
次回?の教科書検定で、
本来は
「論理的・実用的な文章」を扱うはずの論理国語に、
小説が入り込んできました。
本文として載せたり、
QRコードの先に文学作品を置いたり。
建前としては「論理」
実態としては「文学も必要」
文学の衰退とか
学びの幅を狭めるとか
文学が役にたつのか?
とか
そういう話ではなく。
冒頭のニュースをみて
で。
しょうね。
と私は思ってしまった。
「意味は使われ方で決まる」
という視点
ウィトゲンシュタインはこう言いました。
(高校国語の教科書に載ってたような。。。)
言葉の意味は、その使われ方にある。
つまり、
「論理的な文章」
「文学的な文章」
という区別そのものが、
実は固定された本質を持っているわけではない、
ということです。
たとえば、
・説明文でも、比喩は使われる
・小説でも、論理は存在する
完全に分離することなんて、本当はできない。
それなのに、
「これは論理」
「これは文学」
と線を引こうとすると、どうなるか。
現場では、
今回のように“こっそり混ざる”わけです。
そして
それは「文学の価値」「文学で哲学を学ぶ」といった話でもない。
言語ゲームとしての国語教育
ウィトゲンシュタインは「言語ゲーム」という考え方も提示しました。
言葉は、あるルールの中で使われるから意味を持つ。
つまり、
・説明するゲーム
・物語るゲーム
・説得するゲーム
それぞれルールは違うけれど、
完全に分離しているわけではない。
むしろ、
現実の言語活動はこれらが混ざり合っています。
だから、
論理国語から文学を排除する
という発想は、
「言語ゲームを人工的に分断すること」
に近いと思うのです。
そして、
それは現実の言葉の使われ方から離れてしまう。
そこが問題。
なぜ現場は
文学を手放さないのか
教科書会社や現場の先生が戸惑う理由は、
ここにあると思っています。
おそらく現場の感覚としてはこうです。
「論理だけでは、言葉は身につかない」
これは経験的に分かっていることです。
たとえば、
・比喩が分からないと説明文も読めない
・文脈が読めないと論理も追えない
・感情や背景を理解できないと主張の意味も浅くなる
つまり、
文学を抜いた瞬間に、
論理的な理解も難しくなるのです。
線を引こうとする教育の危うさ
今回の問題で興味深いのは、
一度「線を引いた」のに、
あとから「緩めた」ことです。
これは制度のブレにも見えますが、
むしろ逆で、
「そもそも線が引けなかった」
ということではないでしょうか。
ウィトゲンシュタイン的に言えば、
意味は境界で決まるものではなく、
使われ方の広がりの中にある。
つまり、
意味は受け手が決めるといっても過言ではない。
(ウィトゲンシュタインがそこまで言ってるかどうかは知らないです)
(↓この辺↓とごっちゃになっているかもしれない)
だから、
・論理国語
・文学国語
と切り分けた瞬間に、
現実の言語からズレてしまう。
論理と文学は対立していない
論理と文学は対立しているのか?
実際には、
・論理は「関係」を捉える力
・文学は「文脈」を感じる力
どちらも、
「意味を理解する力」
の別の側面に過ぎません。
むしろ、
文学を通してしか育たない論理もある。
これは受験指導をしていても感じることです。
論理的に読めない子は、
たいてい「文脈」を読めていません。
文学と論理を切り分けようとすること自体が不毛なのです。
一方で、
徹底的に論理に拘るなら
国語として
中途半端なことはせず、
これぐらい論理についてトレーニングしてみれば良いとは思うのです。
↓これぐらい↓
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理系大好きっ子さん
よければどうぞ。
ある意味で
文系理系と切り分ける不毛さが
野矢茂樹さんの論理トレーニング
に表れています。
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【どうやら歴史は繰り返されるらしい】
【どうやら歴史は終わらないらしい】
古典?
近代?
に活躍していた人たちも
「論理」
「文学」
を分けようとしてたんですよね。
でも
結局
わけれねーじゃん
分ける意味なくね?
とかなったわけです。
だから
ちゃんと
教養として
古典?
っぽいことを勉強してた方が良いとは思ったり
思わなかったり。
してる私です。