Willbeでは
月に1回、映画鑑賞☞感想を書く☞映画から社会/人間分析の授業☞感想をかく
という授業を他塾の協力を得て行っております。
今日の映画は「コンティジョン」でした。
contagionはマニアックな英単語(名詞)ですが、「接触感染」「感染」といった意味です。
タイトルから分かる通り「コロナ関連」の映画だと思っていただければよいです。
映画が公開されたのが2011年ですから、コロナを題材にしたわけではなく、狂牛病や豚インフルエンザから着想を得た映画です。コロナを予見していたなどと言われていたようです。
私は見たことありません。
さて、、、
子ども達に感想を書いてもらっているので、
私なりの感想を。
善良な市民になる難しさ
こういった映画を観たときの私の感想は、毎回、「善良な市民になるのは難しい」ということです。そこだけは進化しないと反省します笑
私は善良な市民になりたいのだけれど、善良な市民になれているのだろうか。無理なのではないだろうかとモヤモヤするのです。
善良な市民とは、一般に「法律や社会のルールを守り、正直で素直な心を持ち、責任感を持って社会の一員として責任を果たす人」のことを言います。
「法律を守る」といった行為は分かりやすいです。
(すべての法律を知り、理解しているかどうかは一旦おいておいて)
一方で、法律に明文化されていない「社会ルール」を守ることは難しいのです。社会規範になっているのかどうか曖昧だからです。どれほどの人に合意がなされているのだろうか。
「人に会ったときは挨拶をしよう!!」
これは日本においては社会規範になっているでしょう。
では「困っている人は助けましょう」はどうでしょうか?
社会規範であるかどうか怪しいところがあります。
さらに、
善良な市民を一歩掘り下げると「法律を遵守し、暴力的な手段で問題を解決せず、社会的な問題解決にも責任をもって関わり、倫理的・道徳的な判断を自律的に行う市民」ということも出来ます。
倫理と道徳に唯一絶対の答えはありません。
倫理と道徳に答えがあるならば、それは法律になっています。
「たとえ正義があっても殺人がいけない。」これは法律です。
ヒトの考えは変わります。「正義の殺人」が禁止されたのは最近のことです。
日本ならばむしろ「正義の殺人」を行わなければ、社会から「いじめ」という粛清をうける時代もありました。
ヒトの考えが変わるから社会の倫理と道徳が変化して、なんとなく社会の規範になってるっぽい雰囲気が出てくると法律が変わります。
一方で、社会常識に法律が追い付くのはなかなかに難しいのが現実です。国会を見ていれば分かります。
ならば、
善良な市民が招く矛盾は、善良な市民であろうとした瞬間、否定される点にあります。
善良な市民が守るべき社会規範と社会のルールは、程度の差こそあれ合意されていないからです。
そのようなふわっとしたルールを守るとはどういうことなのでしょう。
現代の世の中でしんどいことがあるとするならば、社会規範があるわけでもないことに対して決断しなければならないということなのです。
奴隷と自由
精神の自由など放り出したいっ
人間って実は奴隷でありたいと思ってる人の方が多いのではないだろうか。
そう思うことがあります。
全てを決断せねばならない世の中はシンドイからです。
欧米社会が「自由」をもとに抑圧されている社会を解放した瞬間に「なんて迷惑なことをしてくれたんだ」「俺たちは抑圧されているほうが幸せだったんだ」と非難される事例はいくらでもあります。
(今でもあります。市民の定義が狭かった時代やオリエンタリズムの時代は無視しておいてください。与えられた自由が強制だった場合です。ジェンダーにしろ人権の問題がセンシティブでデリケートである理由の1つですね。)
コロナ過において、被害拡大が比較的マシだったのは、国家が人権を制限するようなことを行った国です。一方で、被害が比較的大きかったと言われる国々は人間らしさを優先して判断を国民にゆだねた国です。イタリアなどそうだったみたいです。
多様であるということは、選択肢を知り、決断せねばならないのです。
何も考えずにダラダラ生きていきたい
何も考えずに生きるためには、労働に身を置くことが重要です。
目の前の忙しさに捉われてしまえば良いのです。ヒトには自由な時間があります。学問/学校(school)の語源は「スカレ」という古代ギリシャ語だったはずです。
人は自由な時間を持つと考えてしまいます。故に、古代ギリシャで哲学が発達したのでしょう。
つまり、何も考えずにダラダラ生きるということは不可能なのです。盲目的に労働を行う時間はそれはそれで大切です。
考えてしまうため、人生のいずれかのタイミングで決断をせまられます。ならば10代のうちに考えていたほうがよいでしょう。
社会人になると考える時間は少なくなります。
選んだ自由なのか選んだ抑圧なのか。
どこかのタイミングで選ばざるを得ないのだろうとおもいます。
今のところ、1つの価値観を押し付けるのは良くないのだから、多様な価値観から1つ選び決断するのが一番いいんじゃないか?というのが、今のところの社会の結論です。
あらゆる事象にたいして「人それぞれだよね」と言ってしまうことは、奴隷と抑圧の発想です。考えて決断することは辛い。
だから、考えて言葉にして何かを決断する準備をしようね、ということが映画の授業のテーマの1つです。
話が飛びました。
立場の違い
立場の違いと申し上げるのは、映画でアメリカが特定の地域の封鎖を決断した際、HHSのリーダー?が、公表する前につい友人知人に伝えたシーンです。
当然のように社会から凄まじい非難をあびます。
難しい局面です。子どもの可愛い顔を見たときに、子ども1時間先の未来が絶望する秘密を打ち明けず、「公人」として、秘密を遵守できるのだろうか。私はおそらく自分にとって身近な人を優先してしまうのだろうと思う。
やってはいけないことは、合意形成されている訳でもない規範のようなものを押し付け攻撃することでしょう。
それだけはやりたくない。
結果論
歴史を学んだ際にIfを考える論調があります。なぜ日本は戦争に突入したのか?政府がアホだったから。間違えはないでしょう。しかし、ただ、それは結果論なのです。
歴史を学ぶ上で重要なことは、人間模様なのです。未知の決断をせざるを得なかったのです。結果を見て悪と正義を決めるのであれば、歴史を学ぶ意義がありません。
己の体験に固執する怖さ
コンティジョンに以下のような人物が登場していました。
感染症が流行ったときに「政府が嘘をついている。私は○○という草を食べているから感染していない。○○を食べれば感染症は解決するのに、政府がそれを見留めないのは製薬会社と癒着しており、自らの利益のためだ」と主張する人物がいました。
賢者は歴史に学び、愚者は己の体験に従う。
人は、自分の成功体験を忘れることが出来ません。私も職業柄少ない体験から「成績を上げる方法」などといった価値判断をするしかありません。果たして、己という呪縛を捨てきれているのか、不安で仕方がありません。
自らの信念が間違っていることもある。故に、他人と話す機会を絶対に設けると決めています。
といったことをダラダラ考えていくと、学ぶしかないな。
凡人は凡人なりに学んでいくしかないな。
ということになります。
あ~考えるのも面倒だ
考えるためには知識がいる
あ~知らないことが多すぎる
あ~~面倒だ。
ちなみに、弊塾に「自由からの逃走」という本が置かれています。近代人が「自由」を得たにもかかわらず、なぜ「自由から逃れようとするのか」を分析した社会心理学的考察です。
それって私が今まで書いてあることです。いま、私は自由から逃走したい気分なんです。
(↓偉そうに小難しそうに↓「自由からの逃走」なんてタイトルをつけていますが、大した話ではありません笑 ただそれだけの話です。)
しかし、それでは人類数千年の歴史のなかで確立されてきた人権を否定するようで嫌なので、やっぱり善良な市民になってみたいのです。
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自由から逃走する人生もOKなんです。
そこだけは誤解なさらずに。
正義とはなにか?
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弊塾にもおいてありますが、もしご興味あれば笑
10年以上前に一世を風靡した書籍です。正義とは難しいものですね。
たまたま今月の追加図書は、FACTでした。
深堀出来るかもしれません。
コンティジョンが良い映画だとおもった理由
内容を知らずに映画を観ました笑
一般に、分かりやすいパンデミック系の映画は、パンデミックの悲惨さをメインに取り扱うことが多いように思います。
コンティジョンでは、「栄光なき天才」「我々が日常生活では目にすることのない影の努力、陰の戦」がキチンと描かれていたことです。
どちらかというと、「悲惨さ」「怖さ」だけではなく、「栄光なき天才/ヒーロー」にも目を向けて欲しかったわけですが、
うちの子達は、「映画の作り方」「悲惨さ」に目が奪われてしまったようで、少し残念でもありました。
「最後のシーンは台無しだろ??」
「今更Day1なんて語ってくれるなよ💢」
と思ったのですが、、、、生徒の感想を見てみると「あらゆる感染症の発端は、あれぐらい些細なことなんだ」ということを、知らなかったみたいなので、価値あるシーンだったんだと反省している私があります。
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まだまだ書きたいことはあるのだけれど、、今日はこの辺にしておきます。
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保護者の皆様へ
映画では、妻に先立たれ、自粛を選んだ父親が娘の行動を制限することに不満タラタラな娘が登場しておりました。中学生は娘に感情移入をしておりました。それは当然のことかもしれません。しかし、あれからコロナから5年たち、今だからこそ理解できることもあるように思います。
よければ当事者として感じた「パンデミック」の苦労を話していただければ映画の授業の威力倍増です。