モノが分かるとは何か。
永遠のテーマかも知れません。
私も人に学びを伝えようと思いながらも、うまく表現できない言葉です。
本日、赤穂市内の中学校は卒業式。
ふとX(Twitter)に流れてまいりましたとある高校の答辞を食い入るようによんでおりました。
↓桐朋高校全文↓
なぜか以下の内容が心に残ってしまいました。ただの言葉遊びではありますが、そういった言い回しもあるものかと感心致します。
さてこの“stay foolish stay hungry” “be foolish be hungry”ではありません。
僕達はいつまでfoolish、馬鹿でいられるのでしょうか。無知を馬鹿というならば、僕は永遠に馬鹿で構わない。
無知とは、また新たな何かを学べるということであり、学びとはすなわちその奥に未知が存在することへの知覚なのですから。
高1の時、担任の先生がこう言っていたのを思い出します。「学ぶ意味なんて学びきるまで分からない、でも意味がわからないから学ばないってのは、あまりに安直だよね」
学びには王道もなければ聖域もない。永久の学びを志向する者ならば、他者に対し冷笑的、厭世的な態度で臨むことは許されません。馬鹿は風邪をひかない――己の無知を自覚し、故に学び続ける「馬鹿」であるならば、流言飛語やデマといった一時的な「風」に惑わされることはないはずです。
学ぶ。
これが何を意味するのか、いまだに分からない私がおりまする。
我々大人が、まさにこの「学び」を体現できているのであろうか。
もはや大人への挑戦状として読んでしまった私であります笑 私流に言えば、風はひくものです。風邪をひいている状態が普通なのですw
赤穂市の皆様。
ご卒業おめでとうございます