思うように勉強がはかどらない中学生や高校生がいる。
数学の問題を1時間かけて考える。
もうちょっと考えれば出来るんじゃないか?
あと少しで解けるんじゃないか?
そうやっていくうちにたった1問解くのに1時間が経ってしまう。
そういう時間は割と楽しい。
小学生や小さな子どもが本来「学ぶことが好き」なのはそういう時間が無限にあるからだ。いまの幼児や小学生が忙しいとはいえ、高校生の忙しさとは比にならないため。いくら時間を溶かしても良い。
しかし、
所謂「勉強」となるとそうもいかない。
期限がある。
期限を提示され、〇〇までに出来るようにして下さい、と言われる。
プロの芸術家が「本当に音楽が好きなら仕事にしてはいけない」と言っているのをよく耳にする。
自分の世界だけで思考を楽しめなくなり、期限があるからだろう。
たかが「ド」の音を出すだけにいくらでも時間を費やしても良い。
たかが「ド」
されど「ド」
されど「ド」と言ってあげたい。
とはいえ、期限までの時間は無限ではない。
大人になって勉強が楽しいと言い出す我々も同じことなのかもしれない。
単純に期限などなく、納得するまで調べつくし、何度も何度も図形を書きなおす。
楽しいひと時である。
だが所謂勉強には期限がある。
期限内に達成しなければならない。
楽しさを奪う瞬間である。
「考える」バランスは難しい。
そこで求められてるのは「あきらめる判断力」だということになる。
私は中学生や高校生に「20秒手が止まったらあきらめろ」と言うことが多い。
・思考がループしていることを考えているとは言えない
・知らないことを考えるのは不可能
だからだ。
大学入試に「思考力」が求められてるとはいえ、
パターンAとパターンBを知らなければパターンCという発想は身につかないし、出てこない。
パターンCに悩むのであればパターンAとパターンBが定着していないと言わざるを得ない。
なんなら大学受験においてパターンCは新しい発想でもなく「パターンC」なのだ。
学校の課題というものは、往々にしてパターンを使いこなすための演習にすぎない。
考えることは楽しい。
だが、
いま考えても無限の時間を消費することが想定されるならば
「諦める判断力」
が求められる。
さっさと答えをみなさい。
答えをみて理解できないならば、それこそ、答えの解読に1時間を消費するならパターンAとパターンBの習得を急ぎなさい。いまパターンCを中心とした演習をするべきではない。
答えをみて、5分で理解し、ポイントを要約できて人に説明できるなら、パターンCの習得に時間を費やしなさい。
自分で生徒に言っていて残酷だとは思っている。
しかし、
幼いころの純粋たる知的好奇心の追求が思考力を意味しない。
小学生の間に鍛えきるしかない。
具体の習得がパターンCの理解を促す。
「考えなさい」
これほど残酷な言葉もないだろう。