僕は、中学生や高校生に「やりたいことないんすよね~」と相談されると「それでえーねやで」「漠然としてたらえーねやで」と答えるようにしている。
目標を立てることを否定したいわけではないが、「目標をたてること」「将来の夢」を持つことが過度に「素晴らしいもの」になっている気がするのです。
「夢に日付を」だなんて本が流行っていたり、ビジネス論理かのように人生の目標といったものを書かされる機会が増えてきています。
夢や目標を否定したいのではないのです。
持つべき必然性がないのです。
漠然としていて良いのです。
なんとな~~~~~~く「人を大切にしたい」「有名になりた~~~い」だとかそういうボヤけたことで良いと思っています。
ビジネス論理と申し上げるのは、確かに人さまからお金を頂いたり、誰かに助けてもらおうと思った時には、「志」は明確でなければならないでしょうし、「志」に対する道筋が見えてなければならないでしょう。
「僕は有名になりたいんだ」と子どもが言ったとして「君は有名になって何がしたいんだ?」「君はどうやって有名になるんだい?」といった凄くビジネスっぽいことを大人は口にしたがるでしょう。「世の中が分かってない」だとか笑
一方で、
世の中で「凄い」と言われている人たちの話をよく聞いているとビジネスやプロジェクトにおいては目標や達成プロセスを語っているように思いますが、はじめかた「現在地」を目指していた人は少ないように思うのです。
例外は、、、
イチローさんだとか比較的分かりやすい型の夢を思い求めていた人なのではないでしょうか。
将来のことを考えたとき、多くの人は「目の前のすべきこと」に身が入らなくなっているのではないでしょうか?
あれ~このまま俺はどうすればいいんだろう。
そんなことを考えながらテスト勉強ははかどるわけはないでしょう。
夢を掲げて破れることは良いことなのか悪いことなのか。
人生には「自分の力ではどうしようもないこと」がどうしたってあります。それが「親ガチャである」とは言いたくないのですが笑、、、例えば、
高校生「最近あまり勉強がはかどりません」
私「なぜ?」
高校生「部活の練習がしんどくて。。。」
さて、この場合勉強がはかどらないのはアナタのせいではありません。部活の練習などアナタ1人の力ではどうしようも出来ません。出来るとは思いますが、部活の練習を変えるほどにエネルギーと時間を使うならばそれこそ勉強した方が良いのでしょう笑
ここで言いたいことは、「目標達成」には必ず「自分ではどうしようもないこと」があります。2024年度の相生高校の倍率がそうかもしれません。
「世の中の状況的に」うっすらなんとなくそんな気はしていたが、突如倍率が1.0倍付近から1.25倍に跳ね上がることなどアナタのせいではありません。
実は、ぼんやりふんわかした「想い」であれば目標達成に対するよく分からない勝ち負けに振り回されなくてよいのかもしれません。
オリンピックで1位になる。
しかしウサインボルトクラスの天才が現れてしまった場合、それはアナタのせいではなく「運」なのです。
大谷翔平さんに言わせれば「運」をひきよせる活動が必要だということになるのかもしれません。
夢や目標を否定したいのではなく、過度に「持たねばならない強迫観念」を捨て去っても良いのだと思います。
夢や目標はなくても良いのです。
ぼんやりで良いのです。
ただ、、、
大事なことは「目の前のこと」は一生懸命やっていたほうが良いよという1点のみです。
それが習い事なのか勉強なのかスポーツなのか私にはわかりません。私は塾の先生ですから「目の前の勉強」に打ち込みなさいとは言うわけです。
目の前のやれることをやり切っていれば、キチンと出会いがあるような気がするのです。おそらく人はそれを「チャンス」だとか「運」だとかという言葉で表現するのだと思います。
やるなら目の前のことに「打ち込みなさい」です。
本当になんだって良いのです♬
一生懸命やったことがちゃんとつながっていって、夢を逆算しなくとも気が付けば「歩いてきた道」が出来ています。
だから夢の無い自分に卑下しなくてよいし、
ぼやけた目標しかもてない自分をさげすむことはしなくてよい、
目の前のことを一生懸命やりなはれ。
大丈夫やで。
いざ
アンタらが「◎◎になってみたい」「○○を達成してみたい」となったときに、私は全力で応援できるように日々なんかしら勉強しておきますし、
私では「無理なこと」があった場合、出来うる限りそれに答えれるように「知り合いの和」を広げておきますから。
安心して勉強しておくんなまし。
勉強しろ💢
勉強💢
(武田先生、ごめんなさい)