小説は言葉で出来ている。
映画はそれが映像に置き換わっただけである。
登場人物
①人物の把握
あたりまえだが人物を必要とする。複数の人間の「関係」によって「(会話以外を含む)コミュニケーション」の意味は変ってくる。
作中の人物同士がどう存在しているのかを把握する必要がある。
家族関係の中の「大っ嫌い」、Twitter同士での「大っ嫌い」はおそらく意味が異なるのだ。
②人物の心情
私たちには感情がある。それは映画や小説においても変わらない。
感情に基づいて行動をする。
分かりやすく「怒って机をたたいた」と直接表現される場合もあれば、「表情」「発言」「ふるまい」「リズム/抑揚」などの描写から読み取らねばならないことも多い。
また、「風景/情景」によって登場人物の心情が表現されることもある。
駅にたつ男。
あたりには誰もいない。
ある曇った冬の日暮れのこと。
駅は妙に薄暗かった。
遠くで悲しそうな子犬の鳴き声がする。
↑このような描写があれば、前向きな感情を想像する人は少ないだろう。
故に、
登場人物が互いに抱いている感情
物語が進んでいく中で変化する感情/関係
を読み解くには
ストーリーやあらすじを追いかけているだけではいけない。
舞台の設定
国語の指導をしてみて、小説の導入を読み飛ばしている中学生や高校生が多いことに気が付く。国語の問題は小説の一部抜粋である。
そのため、問題に答えるためには「導入部」において、先ほどの登場人物の整理や部隊の設定を細かく読み解くことも肝要なのです。
①時間と空間
小説においては、まずは物語の「今」がいつなのかを押さえておきたい。
2014年現在から2000年を振り返っているのだろうか?
それとも1600年の物語の今日なのであろうか?
場所についても同様で、架空/オモヒデ/未来/実在する場所なのかは重要です。
映画や小説では、この時間/場所がいつの間にか変わっていく。
②事実と嘘と常識
個人的な話ではあるが、私は最近友人に「幼児ぐらいの子どもに(犬のように)ハーネスをつける保護者が増えてきた」と聞いて驚いた。(私が知らないだけで子ども達の暗算を守るために割と広がっているようです。)
しかし、それを当たり前に受け入れている世界もある。
それはまわりの人の表情によって「当たり前」として常識として受け入れられているのかどうかを読み取ることが出来る。それなのに「子供虐待」をするなんて信じられないと怒ってみても仕方なのである。(当然、そういった感想を持つこと自体は悪くない)
小説や映画は、現実とことなる世界、自分の常識とは微妙に異なる世界観によってつくられていることが多い。
まずは自らの常識や先入観を捨てて、物語がどのような世界なのか、どういうルールなのか、どういう論理なのかを見ていく必要がある。
自分の常識を小説の世界に当てはめてはいけない。
小説の点数が安定しない場合、「自分の常識」が「小説の世界観」に近ければ正解する、遠ければ不正解という人が多いのだろう。
テーマ
①段落と物語の展開
先ほどまで述べてきた、「人物」「心情」「人間関係」「時間」「時代」「場所」「常識」といった要素を段落ごとに把握することが重要です。
そもそも文章というものは、そういうものだからです笑
物語の展開、シーン、時間、心情描写を段落ごとに分けてくれているのが普通なのである。映画でいうならば「シーン/映像の切り替わり」なのだろう。
②テーマ
論説文であるなばら明快にテーマを述べてくれている。論理を追っていけば自然とテーマが明らかになる。
しかし、小説ではテーマが明らかになることは少ない。今から「家族愛にもいろんな形があるんだよ」ということについて述べていきます」などと決して書かれない。
作品全体(舞台、時代、展開、言動や心情)と、自信の主観的な印象とあわせてテーマを考えてみたい。
タイトルの意味を想像していくのも有用な方法である。
以上に述べてきたことは「小説読解/現代文入門」といったたぐいの参考書や問題集に必ず書かれていることである。
時代や常識といったものは「知識」として知っておかな変えれば理解できないこともあるだろうが、映画の授業を受けて「もっと多くの知識があれば、映画を深く読み取れるのに」といった感想が映画の授業で多く出るのはしごく当然のことだと思う。
知識というのは、「方言」「文体」「比喩表現」といったものも含まれるが、上記の感覚と必ずしも「2つ」に分けれないものだ。
故に、知識と言いながら「読もう」という姿勢によって感覚的に身につく知識もある。
そういった意味で映画の授業を盛大に使いこなして欲しい。
本日。
18:30~
トゥルーマンショー