近年、神奈川県横浜翠嵐高校の東大合格実績に注目が集まり、東京都日比谷高校に対しても同様に東大合格実績に注目するような流れがある気がいたします。
そのこと自体は、昔からあります。
だが、高校にせよ大学にせよ大人たちが進学実績と偏差値のみで学校を評価する傾向は、個人的には好きではない。
そうはいっても、私は職業柄、阪神の優勝年度や歴代本塁打王を獲得した選手を眺めるのと同じように、各高校の進学実績を頭にいれようとすることはある。
だが好きではないのである。
ビジネス的観点で
・分かりやすい数字でブランドイメージを向上させる
・数値をもとに目標設定を行わないと努力の成果がよく分からない
などなど、
といったことは十分に理解は出来る。
一方で、
・家庭の伝統
・一族のプレッシャー
という意味で、特定の大学や学部に拘らなければいけないケースが存在することも理解は出来る。
しかし、それでも
数字のみを目標設定して盲信していく弊害はあると思っている。
本来、数字は手段です。
「手段の目的化」とはよく言ったもので、なんのために数字にこだわっているのか、大人も子どももよく分からなくなってしまうケースは良く見る。
これはサラリーマンだってそうだろう。
(元サラリーマン)
チャップリン的な世界も冗談では済まされない。「私は一体何のためにこのベルトコンベアの前に立っているのだろう」と。
数値は達成せねばならないが、不正が横行する構図はまさに、同様の構図だと思う。大学進学実績が不正を招くとは言っているわけではない。
大人が進学実績を煽るのは良くないと思っている。
— 光庵 良仁(赤穂市の学習塾Willbe 塾長) (@WillbeAko2019) September 24, 2025
卒業生としては鼻が高いことも理解は出来る。
数字目標で語らないと、成果が見えにくいのはわかる。
数字目標にこだわる弊害なんてものが出てくる。 https://t.co/e7ECbOijuj
数字と分かりやすい言葉の魔力に捉われて、
数字を信じて盲目的に取り組む瞬間は必要だが、
大人が煽りすぎるのはいかがなものかと、
やはり思うのであります。
なお。
では、アナタはどうなんな?
という批判は受け付けません。
え?