12月映画の授業日程を変更いたします。塾生には今日からお伝えしてまいります。
12/30(月)
⇒12/22(日)
今回の内容は「3人のゴースト」です。原作は、イギリスの文豪チャールズ・ディケンズの中編?小説「クリスマスキャロル」(1843)。
クリスマスキャロルは、小説や映画だけではなく絵本にもなって日本でも親しまれています。なんたって1843年の作品が、2018年頃に絵本として日本の複数出版社が出版していたりされているぐらいですから笑
映画を観て、感想書いて、授業を受ける。
ただそれだけです笑
感想と言っても読書感想文のような感想を書いて欲しいわけではなく、本当に感じたことを赤裸々に書いてくださればOKです。
とはいえ、何を書けばよいか分からない子たちも多いので、まずは「観察しましょう~~~~」です。
授業では「ちょっとした雑音」を入れてみるって感じですね。授業で雑音入れて授業後にもう一回考えて感想を書いてみるって感じ。
(授業をするのは私ではありません笑)感
想2回書きますw
中学生や高校生からすれば「映画の授業って何だ?」「別に映画が好きなわけじゃない」って感じかもしれないのかもしれない。
私も映画を使って授業をやりながらいろんなことを思います。よくやりたいことが「見つからない」なんていう子がいますが、そりゃそうだろうと思うのです。やりたいことなんてなくて良いのですが、やりたいことを見つけるには「まずは乗っかってみる」っていう姿勢は重要だと思うのです。
面白いとか面白くないとか抜きにして、まずは乗っかってみる!!好きか嫌いか分からないけど飛び込んでみる!!
そうやってね、何度も何度やってみてやっぱり興味ないって思っても、それはそれでやりたいことに近づいている気はするのです。
思春期ってやっぱり言葉を失いがちです。それは当たり前のことです。頭の中がグチャグチャで言葉以外でしか表現できないもんがある。
当たり前のことです。いやいや何を偉そうに笑 私も常に頭の中はグチャグチャしてます。20代の頃は「思考の整理法」だとかそういうHowto本を読んでみたものです。意味なかったなと今は思ってます。
映画を観てさ、言葉にならない体験して、「わかんない、どうしたらいいんだ」って悩んでさ、「自分の気持ちにぴったりな言葉を探すってメッチャむずい」って思いながら、言葉を生んでいけばよいと思うのです。
そういう言葉って私の理解を越えてくるんです。
高校生がさ「ぶっちゃけ大学へ行こうと思ってたんですけど、最先端とか世の中を変えるとか、そういうことに興味ない気がするんですよね」とか言い出したり、
「あ~分かってたつもりでしたけど、いま、私が勉強できているのは周囲の環境のおかげなんだとあらためて痛感しました。分かってたけど分かってなかった」とか、
「自分が活きるために、他人を危険にさらすのが人間の本性なのか?と思ってしまった」とかね。浅いとか世の中を知らないとか、そういうこと言いたくなったりもしますけど、そういうことでもない。だってね。兵庫県知事選を見ていれば、すごい人間模様がありそうですよねっ本音と組織の論理に挟まれた人が何人もいそうじゃないですか笑
☝これもちょっと☝大人が求める模範解答みたいに見えてしまうのですが、そういうわけでもないんです。☝こういうことを書いて欲しい訳でもないのです笑 こう書けば大人が喜ぶだろうみていな文章ってみれば分かるのです。
そういう言葉に正解とか不正解とかないのですが、魂の言葉だなって思います。学力だとかテストの点数だとかそういうもんじゃないんです。
それって「言葉にならない時間」を大切にしたからなんじゃないかと思うのです。
そういう意味では保護者の皆様には「映画の授業」から帰って来た中学生や高校生達といろんなことをキャーキャー話してみて欲しいんです。えらそうなことを言わなくてよくて、恣意的に何かを引き出そうと思わなくて良くて、単純に話を聞いて、単純な疑問を投げかけて置いてくれればOKです。
いわゆる「勉強」という枠組みでそういうことを育てることは出来るのかもしれませんが「AはBである」だとか「正解/不正解」だけでは、「言葉にならない時間」を大切にして「言葉を生み出していく」って過程を体験させてあげることは難しい気もします。
自由な学びって何なんでしょうね~~~
もしかしたら、私が「本当の声」みたいなもんを聴いてみたいってエゴでやってるだけなんじゃないかと思う瞬間もあります。中学生や高校生が1年~2年たった時に、妙に大人びていたり、あれ?こんなこと言う子だったかな?とか思ったり、所謂勉強だけだと引き出せなかった一面を垣間見るのです。
少なくとも「本当の声」みたいなものを紡ぎだせる空間でありたいと思うのですが、なかなかにムズカシイことです。
ま~余計なお世話なですな笑