日曜日。
師匠の勉強会に参加してまいりました。
子ども達が具体物なしで学ぶとき、その子どもは、教える側の聞く・聴くことで頭がいっぱいになり、理解するのではなく結局は覚えこむことに全精力を傾けがちになります。
これでは生徒が創造力を育てる余地がありません。
~中略~
数というものは観念的なものであって、実際に見せることは出来ません。事実を見せる事だけが出来るのです。事実を見て取るには解釈が必要です。
だから、どのような解釈をしているのかが大切になります。
子ども達は、生活の中で「1」という数を知覚し、試行錯誤しながら育てていきます。
(第55講 図形学習勉強会、諌山先生)
「1」というものを説明するのは本当に難しい。1+1=2だと言えることが「数」を理解したことになりません。言葉でいうことは簡単なのですが、諌山先生の勉強会に参加させていただくたびに、数の奥深さと「深堀」の大切さを痛感致します。
「1+1=2、分かった?」
「うん」
「では1+1は?」
「2!!」
これではいけないのです。
数を深堀させることは、決して、算数の問題集応用問題を解くことではありません。
りんごが3つあっても1つでありますし、
りんごが半分でも1つでもあります。
いかに言葉ではなく、体験を通した解釈をしてもらうのか。
今回の勉強会では「深堀」と何度もおっしゃっておられました。
深堀とはなにか?
これからも試行錯誤は続きますね。
奥深い。
唯一絶対の方法。あるいは、目に見える分かりやすい「成果」「結果」を追い求めてしまうと子ども達の未来を暗いものにしてしまう。
言葉でいうと簡単なことですが、なんど先生にお会いしても、まだまだ私も分かっていないなと痛感致します。
さて、
また先生にお会いするまでに、精進致します。
中学生や高校生になると、どうしたって点数で可視化されてしまいます。昔のように「点数がひくくても自尊心が高い子」は少なくなっているようにも思ってしまいます。
こういったことは「個性」という言葉で批判されている風潮はありますが、一方で、皮肉にも個性はつぶされやすい時代だとも思います。
「数」という概念が入っていない子は、どうしても勉強に負荷がかかります。確かに、小学校低学年で習うことはその後の私生活によって追い付くことは十分に可能です。その意味では勉強が出来なくても十分でしょう。しかし、「数」の概念を感覚として理解しないまま小学校の勉強を続けても分からないことが多くて勉強が楽しい訳がありません。小学生たちを見ていて、タブレットやプリントではやはり「数」の概念が育ちにくい気がして仕方ありません。
家庭内での会話
具体的にモノを使って遊ぶ習慣
そういったものは意識的に触れていく必要はあるのだろうと思います。